シリーズ黒岩探訪

黒岩探訪web版

汗・焦る シリーズ黒岩探訪39 黒岩の小字名3 「川・用水」関係

シリーズ黒岩探訪39  → 黒岩の小字名3 「川・用水」関係 39koazamei 3.pdf

黒岩探訪26号で示したように黒岩には、全部で75の小字名があります。これを次のようにグループ分けしました。「谷津・田」「畑」「山」「川・用水」「坂道」「寺社等」です。

黒岩探訪29号で「谷津」「田」

黒岩探訪38号で「寺社等」に関わる十王山を取り上げました。

今回は、「川・用水」に関すると思われる小字の三つを取り上げています。

「関口」「筒中」「落合」です。

PDFファイルをご覧ください。

 

昼 シリーズ黒岩探訪38 黒岩の小字名2 「十王山」と名所「城山」

シリーズ黒岩探訪38  → 黒岩の小字名2 「十王山」と名所「城山」 38juuouyamatojouyama.pdf

1 砂田地区から十王山への登り道

2 上の平坦部にでました

3 2の所から東側に高さ約10mぐらいの小山があります。この地点の標高は220mとちょっと。

4 3の頂部に置かれている石宮には「砂田」と彫られている部分があります

5 2の所から西へ向かうとふれあいの道の看板があります。地点名は「城山」になっています。

6 5の付近から南を望む

7 整備された桜の斜面。春は桜の名所です。

8 眺望台があるようです。頂上の標高は228.6mです。

9 北側を見ると砂田地区の集落が見えます

10 眺望台まで、標高差20数メートルほど登ります

11 展望台から南西を望む。晴天ならば、稲含山がよく見えるはずです。

12 展望台から南を望む

13 富岡地区側への下り道

【ふるさと学習プログラムとの関連】

3年(社会、わたしたちの富岡)

 

 

にっこり シリーズ黒岩探訪37 砂田西の石造物群 

シリーズ黒岩探訪37 砂田西の石造物群-奪衣婆(だつえば) 閻魔王(えんまおう) 司命(しみょう) 司録(しろく)- → 37sunadanisisekizoubutugunn.pdf

砂田西の石造物群

奪衣婆(だつえば)像 

司命(しみょう)像 閻魔王(えんまおう)像  司録(しろく)像

 閻魔王(えんまおう)像

【ふるさと学習プログラムとの関連】

3年(社会、古くからつたわるもの)

6年(総合的な学習の時間)

NEW シリーズ黒岩探訪36 オオツノシカの化石骨② 附-出土記念碑、鑑定書、出土記録-

シリーズ黒岩探訪36 オオツノシカの化石骨② 附-出土記念碑、鑑定書、出土記録- → 36ootunosikanokasekikotu2.pdf

 夏休み中の職員研修で特別に本物を見させていただきました。これが二万年以上も前に生きていた生物の化石で、発見されてから二百年以上たっているとは思えないくらいとても保存状態のよいものでした。(下の写真は『富岡市の文化財』より)

 オオツノシカの化石骨は、群馬県の指定文化財になっていますが、それにはその出土記念碑、鑑定書及び出土記録が一緒についています。

 このオオツノシカの化石骨そのものについては、すでに黒岩探訪6(昨年6月22日号)で述べています。「オオツノシカの化石骨」→ 6ootunosika.pdf 

今回は、他の3点について記述します。

【オオツノシカ化石骨出土記念碑】

上黒岩打越の発見現場の近くに建てられています。寛政10年(1798)の建立です。側面には寛政9年6月24日に発見されたことが刻まれています。

 上黒岩の打越にあります。案内の看板もあります。

【オオツノシカ化石骨鑑定書】(『富岡市の文化財』より)

幅50㎝、長さ7m以上の巻物になっています。発見から三年後の寛政12年に書かれました。幕府老中松平定信の侍医であった丹波元簡が鑑定にあたり、絵師の谷文晁の実弟の谷元旦が原寸大の写生図を作成しました。(中略)鹿の一種に似ていると指摘しています。

【オオツノシカ化石骨出土記録】(『富岡市の文化財』より)

幅18㎝、長さ2m強の巻物で、七日市藩士大里頼雄の著作を後に本多和太吉が書き写したというもので、原本・写しとも製作年代は分かりません。化石骨は6月24日の土砂崩れで発見され7月17日には藩主の前田利以に献上されたことや、出土地付近は過去にも度々土砂崩れが起きていたことが記されています。この他出土地の絵図、化石骨の略図なども書かれています。

【ふるさと学習プログラムとの関連】

3年(社会、古くからつたわるもの)

3年(総合的な学習の時間)

6年(総合的な学習の時間)  

 

 

シリーズ黒岩探訪35 古墳-黒岩地区の古墳と富岡5号古墳出土埴輪

シリーズ黒岩探訪35 古墳-黒岩地区の古墳と富岡5号古墳出土埴輪- →  35kohun.pdf

 平成29年群馬県教育委員会発行『群馬県古墳総覧』によると富岡市には、現存・消滅を合わせて全部で古墳が649基ある(あった)ことが報告されています。(18基の旧北甘楽郡福島町分を含む。)

 黒岩地区分はその内5基だけですので、市内の中では古墳数は少ない地域です。 

 その5基は昭和10年に分布調査し昭和13年にまとめられた『上毛古墳総覧』ですでに報告されています。

 これによると一つ目は機足塚(参照黒岩探訪8)のことです。

二つ目は上黒岩新田にあるとされていますが、現存しているかは不明です。

三つ目は上黒岩にあり、所有が黒岩神社となっています。備考欄に「石棺出デシトイフ」とあります。

四つ目、五つ目は下黒岩にあり、備考欄に書いてあることから「他二同様ノモノ」が4基あったとことがわかります。おそらくその位置は、小字の「田中前」またはこれに接する「谷津」と思われます。学校から見ると南東にあたります。山に向かう所に下の写真のように石室の石材と思われる石が露出している塚があります。形状からほぼ古墳に間違いありません。

 校区ではありませんが富岡五号古墳出土の埴輪を紹介します。

 この古墳は西小学校の校庭拡張整備のため昭和43年に発掘調査された後なくなりました。この古墳は六世紀中頃の直径30mほどの比較的大きな円墳とされています。

 ここから出土した埴輪はとてもすばらしいもので富岡市指定文化財になっています。市立美術館の2階に展示されています。

左から、女子、男子、馬飼〔農夫〕、靭(ゆき)、鞆(とも)、太刀(たち)

【ふるさと学習プログラムとの関連】

6年(社会、日本の歴史)

6年(総合的な学習の時間)  

 

 

シリーズ黒岩探訪34 黒川小塚遺跡-弥生時代のお米- 

シリーズ黒岩探訪34 黒川小塚遺跡-弥生時代のお米- → 34kurokawakodukaiseki.pdf

 黒川小塚遺跡は、国道254バイパスのもみじ平公園入口の信号付近を範囲とする弥生時代中期後半~古墳時代前期の遺跡です。この遺跡は昭和59年のバイパス建設、その後の周辺店舗建設時に発掘調査をされています。

 黒川小塚遺跡は、弥生時代中期後半に防御的な溝を集落の周囲にめぐらせた環濠集落としても知られています。出土土器の様式から弥生時代中期後半とされています。この遺跡から出土した炭化米(稲籾)を科学的に調査したところ、およそ紀元前二世紀と分かりました。

 弥生時代に、富岡市において稲作が行われていたことを示す貴重な遺跡です。

【黒川小塚遺跡弥生時代の環濠集落想像図 富岡市立美術博物館】

【黒川小塚遺跡出土米】

(弘前大学人文学部の鑑定によると紀元前175年±20年と推定される。)

【ふるさと学習プログラムとの関連】

5年(総合的な学習の時間:お米について調べよう)

6年(社会、日本の歴史)  

 

 

シリーズ黒岩探訪33 昭和10年の大水災

シリーズ黒岩探訪33 昭和10年の大水災 → 33syouwa10nenndaisuisai.pdf

 7月初めの西ノ本豪雨災害は、過去の水害に比較して大きなものとなってしまいました。また、今回の台風12号は前例にないコースで日本列島を横断していきました。被災された方々に対して心からお見舞い申し上げます。

 天災は、いつやってくるか分かりません。黒岩地区でも昭和10年9月25日に台風による水害が発生し、下黒岩で6名、上黒岩で2名、合計8名が圧死または溺死した災害があったそうです。この時の富岡市の25日1日の降水量は300ミリ、降り始めからの総降水量は460ミリだったそうです。現在の前橋市の年間降水量1248ミリに比較すると1年間の3分の1にあたります。

 学校に、「下黒岩西区土砂災害緊急避難地図」があります。黒岩小学校を含む範囲の図ですので、過去の災害を知り現在の防災対策に生かすために活用していきたいと思います。

図を拡大する場合 → hinanntizu.jpg 

【ふるさと学習プログラムとの関連】

学校行事(避難訓練) 

 

NEW シリーズ黒岩探訪32 民話・語り部かぶらの里

シリーズ黒岩探訪32 民話・語り部かぶらの里 → 32minwa-kataribe.pdf 

 黒岩小学校では、1年に1度、語り部「かぶらの里」の皆さんに民話を語っていただいています。

 6月20日には、「しょうぶの話」「羊太夫」「かいげんときつね」「大日様ときつね」の4話を語っていただきました。

 民話は 「むかし、むかし」や「むか~ぁし」と語り出し、最後は「~とさ」と結ばれます。 登場人物は、村人、小僧さん、てんぐ、きつね、たぬきなどです。特にきつねが多いような気がします。

 本校には昭和時代の後半に制作された紙芝居が八つ残っていますが、そのうち三つが民話をもとにしています。その三つは次のものです。

【谷をかくした天狗さま」(昭和56年度3年生制作)

【大日様のキツネ」(昭和61年度6年生制作)

【新田の山神様」(昭和62年度6年生制作)

【ふるさと学習プログラムとの関連】

3年(総合的な学習の時間)

6年(総合的な学習の時間)  

夜 シリーズ黒岩探訪31 ホタル観賞の夕べ

シリーズ黒岩探訪31 ホタル観賞の夕べ → 31hotarukannsyou.pdf

 黒岩地区地域づくり協議会主催(担当環境美化部)で6月16日に第三回「ホタル観賞の夕べ」が開かれました。 場所は、下黒岩字大平の谷津です。

午後6時半くらいになると薄暗くなってきます。

午後7時を過ぎると暗くなってきます。ホタルが飛び始めるのは午後8時近くになってからでした。

 ここ大平の谷津は、黒岩探訪9黒岩探訪10で谷津を取り上げた時24番を振った堤が奥にあります。この堤の周辺が一番鑑賞に向いている所のようです。

 この堤から下流方向に約五百メートルほど水田が続きます。昨年度各谷津を見て回ったときに現在でも水田の活用率が高い谷津として印象に残った所です。

 用水路が現在でもコンクリート化されていないで自然のままの流れになっています。水田への水口も土管を通すだけのシンプルなもので昔からの方法を受けついでいる様子が分かります。

【ふるさと学習プログラムとの関連】

6年(総合的な学習の時間)

 

 

シリーズ黒岩探訪30 蚕神「絹笠大神」

シリーズ黒岩探訪30 蚕神「絹笠大神」 → 30kinugasaookami.pdf

 今年も県世界遺産課事業の絹文化継承プロジェクトに参加しました。4年生が蚕を六百頭ほど飼い始めました。月末には収繭できる予定です。

 そこで今回は養蚕にちなんで、黒岩に残る蚕神(かいこがみ・さんしん)の石造(像)物「絹笠大神」(きぬがさおおかみ)を紹介します。

  この石造(像)物は、下黒岩の黒澤家にあり屋敷神様と一緒に祀られています。

  石造(像)物「絹笠大神」は、右から2番目。右端は、馬頭観音像。

彫りを強調するため、画像処理しました。

 これも、黒岩地区で養蚕が盛んだったことが分かる貴重な史料と思います。

  関連記事⇒ 黒岩探訪26「さかんだった黒岩村の養蚕業」

 この記事の中に、中央地区の黒澤家がでてきます。関連がうかがわれます。

 【ふるさと学習プログラムとの関連】
4年(総合的な学習の時間)