黒岩探訪web版
シリーズ黒岩探訪29 黒岩の「小字」名 1「谷津」「田」
シリーズ黒岩探訪29 黒岩の「小字」名1 →29koazamei1.pdf
黒岩探訪26号で次の図を示しました。→koazamei.pdf
黒岩には、全部で75の小字名があります。(現在の黒岩地区は・・・・・・より北側の範囲です。)
これら75の小字名を「谷津」「田」「畑」「山」「川・用水」「坂道」「寺社等」それぞれに関係するものにグループ分けしました。
今回の黒岩探訪29号では「谷津」「田」を取り上げます。
まず「谷津」です。全部で30個あります。
次に「田」に関係するものです。全部で16個あります。
これらの二つを合わせてみます。
黒岩カルタに「やつ谷津の 田畑うるおす 黒岩つつみ」があります。
これらの「谷津」関係と「田」関係の二つの合計が46個と全体の約5分の3を占めています。
谷津ごとに堤と水田をつくり大事にしてきた先人の努力が地名につながっているように思います。
【ふるさと学習プログラムとの関連】
6年(総合的な学習の時間)
シリーズ黒岩探訪28 富岡しゃくやく園
シリーズ黒岩探訪28 富岡しゃくやく園 → 28syakuyakuen.pdf
昨年度、黒岩に勤めるようになって「しゃくやく畑」があることを知りました。車で通りながらいったい何の畑だろうと思っていたら5月になって花が咲き始めました。これらの畑で栽培されたものは、切り花として出荷されますが、観光用に整えられたところが「富岡しゃくやく園」です。5月中旬が見頃です。
学校でも昨年度6年生が総合的な学習の時間でお世話になりました。
【ふるさと学習プログラムとの関連】
3年(社会、わたしたちのまち)
6年(総合的な学習の時間)
シリーズ黒岩探訪27 黒岩大日尊の石造物
シリーズ黒岩探訪27 黒岩大日尊の石造物 → 27dainitisonsekizoubutu.pdf
校歌の最初に「みどりに明けて ゆく朝の 大日尊の 杜しずか」と歌われています。今回は、ここの石造物の紹介をします。
説明は、『富岡市の石造物』「平成11年3月」(富岡市教育委員会)からの引用です。
【光明真言供養塔】江戸時代 寛政9年(1797年)
中心の梵字は「ア」と読み、大日如来を表します。円の縁取りのように「光明真言」が刻まれています。市内にはここと小野地区の得成寺にあります。
【宝篋印塔】江戸時代 安永7年(1778年)
梵字は「ア」と読み、大日如来を表します。江戸期の宝篋印塔は旧富岡市内に25基あり、その一つです。
【寒念仏塔(阿弥陀如来立像)】江戸時代 寛政6年(1794年)
寒念仏は、古くは寒の入りから明けまでの30日間僧侶が行う厳しい修行です。江戸期になると庶民も加わるようになりました。
【廻国塔】江戸時代 文化11年(1814年)
法華経を日本の66箇所の霊場に納める目的で国々を回ることを廻国といい、そのことを記念して造立した塔を廻国塔といいます。
【ふるさと学習プログラムとの関連】
2年(生活科、まちたんけん)
3年(社会、がっこうのまわり)
3年(社会、ふるくからつたわるもの)
6年(総合的な学習の時間)
シリーズ黒岩探訪26 黒岩村の(小)字名
シリーズ黒岩探訪26 黒岩村の(小)字名 ⇒26kuroiwa azamei.pdf
三年生が、社会科の学習中に古い地図を見つけてくれました。
それが、『黒岩村全図』昭和二十五年改訂版です。
この地図帳の最後のページには、
昭和二十五年九月十五日印刷発行
編集者 板倉謙
印刷所 西毛文化事業部 とあります。
(小)字名が書かれたページを分かりやすく、ワープロ文字で打ち直してみました。旧黒岩村ですので、黒川地区を含んでいます。字名は、ほとんど今と同じかと思います。
図中の●は堤(つつみ)を表します。(大きさは原図のとおりではありません。)青い線は、河川を表します。なお、黒岩の堤については、黒岩探訪9号、10号を参照してください。
シリーズ黒岩探訪25 吾妻の「黒岩姓」
シリーズ黒岩探訪25 吾妻の「黒岩」姓 ⇒ 25agatuma kuroiwasei.pdf
平昌オリンピックではスケート種目の活躍が目立ちました。だいぶ昔のことになりますが、嬬恋村出身の黒岩姓の選手が大活躍をする時代がありました。その後、嬬恋の黒岩姓は、富岡市の黒岩と関係があると聞くようになりました。ずっと気になっていたことでもあり、今回は二つの書物を引用して、吾妻郡の黒岩姓について述べてみます。
くわしくはPDFファイルをご覧ください。