シリーズ黒岩探訪

黒岩探訪web版

お知らせ シリーズ黒岩探訪 バックナンバーの紹介

「シリーズ黒岩探訪」バックナンバーの紹介

目次 青字「黒岩探訪〇〇」をクリックしてください。)

 黒岩探訪48 →310322 黒岩かるた小冊子 をよろしく

 黒岩探訪47 →310313 共和公会堂の石造物

 黒岩探訪46 →310227 石造物集中地区 

 黒岩探訪45 →310213  寒中の候

 黒岩探訪44 →310129  黒岩の地層・地盤

 黒岩探訪43 →310107  黒岩小のお宝 黒岩かるた

 黒岩探訪42 →301221  黒岩小のお宝 黒岩地区の紙芝居八冊

 黒岩探訪41 →301214  黒岩の小字名4「畑」関係

 黒岩探訪40 →301127  おおかみの霊を祭った新田山神様

  黒岩探訪39 →301113  黒岩の小字名3「川・用水」関係

 黒岩探訪38 →301029 黒岩の小字名2「十王山」

             小字名「十王山」と名所「城山」    

   黒岩探訪37 →301012 砂田西の石造物群

 黒岩探訪36 →300926 オオツノシカの化石骨② -出土記念碑 鑑定書 出土記録-

 黒岩探訪35 →300912 古墳 -黒岩地区の古墳と富岡5号古墳出土埴輪-

 黒岩探訪34 →300827 黒川小塚遺跡-弥生時代のお米-

 黒岩探訪33 →300720 昭和10年の大水災

 黒岩探訪32 →300711 民話・語り部かぶらの里

 黒岩探訪31 →300628 ホタル観賞の夕べ

 黒岩探訪30 →300612 蚕神「絹笠大神」

 黒岩探訪29 →300529 黒岩の小字名1「谷津」「田」

 黒岩探訪28 →300515 富岡しゃくやく園

 黒岩探訪27 →300427 黒岩大日尊の石造物

 黒岩探訪26 →300323 黒岩村の(小)字名 

 黒岩探訪25 →300312 吾妻の「黒岩」姓

 黒岩探訪24 →300227  赤城神社・黒岩神社

 黒岩探訪23 →300209もえ上がる 炎にねがう どんど焼き

 黒岩探訪22 →300126 黒岩小周辺の気候の特色(冬の気温編2) 

 黒岩探訪2号関連 →300123『高林城で確認した遺物「かわらけ」について』

 黒岩探訪21 →300109 黒岩小周辺の気候の特色(冬の気温編1)

 黒岩探訪20 →291222 黒岩小学校の歴史

 黒岩探訪19 →291212 辻の道標

 黒岩探訪18 →291128 佐藤茂助翁と二宮金次郎像

 黒岩探訪17  →291114 デキ型電気機関車2号機

 黒岩探訪16  →291027 遍照寺・大日尊

 黒岩探訪15  →291013 盛んだった黒岩村の養蚕業 

 黒岩探訪14  →290926 ねがいこめ百庚申の行者塚(機足百庚申)          

 黒岩探訪13  →290913 ユリノキ

 黒岩探訪12  →290828 真っ白な南極めざす本多艦長 

 黒岩探訪11  →290815   黒岩小学校の沿革

 黒岩探訪10  →290720 黒岩つつみ 及び 谷津 2

 黒岩探訪  9   →290718 黒岩つつみ 及び 谷津 1

 岩探訪  8   →290711 機足の由来を語る織姫塚

 黒岩探訪  7  →290627 養蚕の面影残す北村家

 黒岩探訪  6  →290622 オオツノシカの化石骨

 黒岩探訪  5  →290612 西毛自動車教習所

 黒岩探訪  4  →290529 正嘉銘板碑

 黒岩探訪  3  →290515 火山豆石 あまだれ石

 黒岩探訪  2  →290425 高林城

       →290616 高林城  追加記事

                        →300123  黒岩探訪2号関連『高林城で確認した遺物「かわらけ」について』

 黒岩探訪  1  →290410 北甘楽郡史 本多亀三氏

 黒岩探訪掲載にあたって

 各ページを見る場合、青字「黒岩探訪〇〇」をクリックしてください。

 その上で、もとの黒岩小だより記載の「黒岩探訪」の記事を確認したり、読んだりしたい場合、各記事の頭にある
  シリーズ黒岩探訪〇「〇〇〇〇」→ 「pdfファイル」
 この「pdfファイル」をクリックしてください。

 左のメニューの中、『▶校長室より・黒岩探訪』の下層にある『▶シリーズ黒岩探訪』をクリックしていただき、該当の記事を確認することもできます。
 ご覧の上、よろしければ関心をもてた記事について「ボタン」押してください。

 

NEW シリーズ黒岩探訪47  → 共和公会堂の石造物

シリーズ黒岩探訪47  → 共和公会堂の石造物 47kyouwakoukaidou.pdf

注目は、左の「如意輪観音座像」です。蓮弁に座る姿になっています。

その下の石柱の部分の正面に「廿二夜佛」と彫られています。つまりこれは「二十二夜塔」と言われる石造物です。

江戸時代の天保四年(1833年)に建てられたもので、「願主惣連 下黒岩村 谷津 田中 阪下」とあります。

二十二夜とは月齢を表す呼び方で、月の形でいうと「半月・下弦の月」です。

共和公会堂には、他に次のような石造物があります。

弘法大師座像

名号塔「南無阿弥陀仏」(二つに折れています)

道祖神

庚申塔

シリーズ黒岩探訪46  → 石造物集中地区

シリーズ黒岩探訪46  → 石造物集中地区 46sekizoubutu.pdf

 黒岩地区には、中世の鎌倉時代に制作された「正嘉銘板碑」(黒岩探訪第4号で紹介済)があり、県内でみても古いほうで貴重な文化財になっています。

 その他の石像物は古くても江戸時代以降になります。この時代の代表的な石造物は、「庚申塔」「道祖神」「馬頭観音」です。特に庚申塔は多く合併前の旧富岡市の範囲で980基を数え、石造物全体の30%を占めています。

 正嘉銘板碑の他にすでに紹介した石造物

黒岩探訪14号 機足百庚申

黒岩探訪24号 赤城神社

黒岩探訪27号 大日尊

黒岩探訪30号 衣笠大神(蚕神石造物)

黒岩探訪37号 砂田西墓地

 今号では、石造物が集中している所を紹介します。

向戸公会堂

共和公会堂

田中前墓地

シリーズ黒岩探訪45  → 寒中の候

シリーズ黒岩探訪45  → 寒中の候 45kanntyuunokou.pdf

寒中とは、小寒(寒の入り)から大寒をはさんで立春までの期間です。

1年で最も寒い時期と言われます。また、黒岩探訪21号、22号で述べたように黒岩地区は放射冷却現象が顕著に現れるので、朝方の気温はとても下がります。

さて、昨年と今年では、寒中期間どちらが寒かったでしょうか?

最低気温をまとめてみました。

柱状グラフで表すと

私の感覚では、やはり昨年の方が寒かったと感じます。

共和地区の寒念仏塔(寒行供養塔)がありました。この寒い寒中に修行を積んだ記念に建てたものです。黒岩地区には、他に大日尊や黒岩神社に見られます。

笑う シリーズ黒岩探訪43  → 黒岩小のお宝 黒岩かるた 

シリーズ黒岩探訪43  → 黒岩小のお宝 黒岩かるた → 43kuroiwakaruta.pdf 

黒岩小学校のお宝パート2です。

小学校には黒岩かるたが残っています。このかるたは次のような手順を経てつくられました。

S56年度 かるたの読み札の文を募集

S57年度 かるたの読み札の文を検討

S58年度 かるたの絵を五年生が作成

S59年度 かるたの解説文を作成

平成6年には13枚ほど読み札を改訂したほか、ベニヤ版絵札の制作をしました。

また、平成29年度には6枚の読み札の改訂を行いました。

読み札を挙げてみます。

黒岩かるた 3世代

第1 昭和56~59 絵は昭和58年5年生

第2 平成6年

第3 平成29年 

 

あまちゃで にぎわう 黒岩大日尊

いつまでも 心に残る 黒岩歌舞伎

うすいと 黒岩むすぶ 一丁八丁

えいえんに 郷土を見守る 富岡霊園

H6 笑顔で 元気に 仲良し遊び

おおかみの れいを祭った 新田山神様

かくし谷津から 街を見守る てんぐさま

きょうもまた 無事故を願う 交通指導

くろいわの 歴史を彩る 野口助之丞

けんない めい所めぐりで 持久走 

H6 ゲートボール 交流深める 北グラウンド

 H29 けもの道 つき進んでく 里山コース

こんじょうと 体力をきたえる 少年野球

H6 心を 一つに 大運動会

さわやかに 走って楽しい サイクリングロード

じゅずまわし あくまをはらう 念仏こう

すすめよう 北部開発 夢の都市 

H6 進めよう 北部開発 文化の街

 H29 砂田の郷 石仏石像 並んでる

せかいの幻 おおつのしかの 化石骨

そん民の誇り 北甘楽郡史の 本多亀三

だいにちまつり ハシカまよけの ハリのこぶ

ちから合わせる 黒岩 少女バレー

H6 地域を つなぐ 黒岩公民館

つうがくろ いつもきれいに 交通安全

でんとうを 勝利で守る 上毛かるた

H6 伝統と 暮らしを伝える ミニ農具作り

とおき 古代を想う 古墳群

なかよし清掃 学ぶ協力 働くよろこび 

H6 仲良し清掃 学ぶ協力 働く喜び

 H29 なかよし遊びで きずな深まる

にこにこと 手紙を見ている お年寄り

ぬれた参道 ふんで 大日公園

H6 温もりを みんなで味わう 親子ハイク

ねがいこめ 百庚申の 行者塚

のうぎょうの 守り本尊 赤城神社

はた足の ゆらいをかたる おり姫塚

ひとびとの 病を救う 双体神

ブルーギル プランクトンも 豊富な黒岩つつみ

H6 故郷 きれいに 星川清掃

ベントナイト ろ天掘りの 豊順鉱業 

H6 ベントナイト 露天掘りの 鉱業資源

 H29 ベレー帽 かぶって安全 呼びかける

ほしかわの 流れにそって コスモスの道

まっしろな 南極めざす 本多かん長

みせよう 無事故の誇り 西毛自動車教習所

H6 見せよう 無事故の誇り 交通安全

むかしから 大人と子どもで えんぎの神楽

めに浮かぶ 思い出深い 旧校舎 

H6 目指そう 誇ろう 花づくり

 H29 めずらしい 種類たくさん しゃくやく園

もえ上がる 炎にねがう どんど焼き

やつ谷津の 田畑うるおす 黒岩つつみ

ゆうけいは 富岡一の 十王山

ようさんと 豊作ねがう まゆ玉づくり

らん世を 物がたる 高林城跡

りそうの 街づくり 富久ニュータウン 

H6 理想の 学校づくり 児童会

 H29 利用者の 笑顔あふれる もみじ平

ルールを 守って 集団登下校

れいぎ 正しい 黒岩小学生

ろっかくどう 憲法つくった 聖徳太子

わが里は 九十九谷の 山合いに

 

笑う シリーズ黒岩探訪42  → 黒岩小のお宝 黒岩地区の紙芝居8冊

シリーズ黒岩探訪42  → 黒岩小のお宝 黒岩地区の紙芝居8冊 → 42kamisibaiseisakunenndai.pdf

黒岩小学校に八冊の大型紙芝居が残っています。これは黒岩小学校のお宝で、現在でも、総合的な学習などの地域学習や業前の時間などで活用されています。

これらは、黒岩小学校で地域学習が盛んだった昭和の末期に作成されたものです。下表のとおり、現在42歳~48歳の方々がこの制作に関わっています。

 kamisibaiseisakunenndai.pdf

 

NEW シリーズ黒岩探訪41 黒岩の小字名4 「畑」関係

シリーズ黒岩探訪41  → 黒岩の小字名4 「畑」関係 41koazamei4.pdf

黒岩探訪26号で示したように黒岩には、全部で75の小字名があります。これを次のようにグループ分けしました。「谷津・田」「畑」「山」「川・用水」「坂道」「寺社等」です。

黒岩探訪29号で「谷津」「田」

黒岩探訪38号で「寺社等」に関わる十王山

黒岩探訪39号で「川・用水」を取り上げました。

今回は、「畑」に関すると思われる小字を取り上げています。

かぶら聖苑西側の「原」の畑。

耕作土の下には、1万3千年以上前のローム層が広がっています。

かぶら聖苑東側の畑。小字は「大坂原」あたり。

夜 シリーズ黒岩探訪40 おおかみの霊を祭った新田山神様

シリーズ黒岩探訪40  → おおかみの霊を祭った新田山神様 40sinndennnoyamagamisama.pdf

江戸時代から続く新田の年中行事です。曜日にかかわらず毎年11月11日、12日が祭日となっています。今年も行燈が並び、12日には、山頂の石宮にお赤飯が供えられました。

慶應二年

 

汗・焦る シリーズ黒岩探訪39 黒岩の小字名3 「川・用水」関係

シリーズ黒岩探訪39  → 黒岩の小字名3 「川・用水」関係 39koazamei 3.pdf

黒岩探訪26号で示したように黒岩には、全部で75の小字名があります。これを次のようにグループ分けしました。「谷津・田」「畑」「山」「川・用水」「坂道」「寺社等」です。

黒岩探訪29号で「谷津」「田」

黒岩探訪38号で「寺社等」に関わる十王山を取り上げました。

今回は、「川・用水」に関すると思われる小字の三つを取り上げています。

「関口」「筒中」「落合」です。

PDFファイルをご覧ください。

 

昼 シリーズ黒岩探訪38 黒岩の小字名2 「十王山」と名所「城山」

シリーズ黒岩探訪38  → 黒岩の小字名2 「十王山」と名所「城山」 38juuouyamatojouyama.pdf

1 砂田地区から十王山への登り道

2 上の平坦部にでました

3 2の所から東側に高さ約10mぐらいの小山があります。この地点の標高は220mとちょっと。

4 3の頂部に置かれている石宮には「砂田」と彫られている部分があります

5 2の所から西へ向かうとふれあいの道の看板があります。地点名は「城山」になっています。

6 5の付近から南を望む

7 整備された桜の斜面。春は桜の名所です。

8 眺望台があるようです。頂上の標高は228.6mです。

9 北側を見ると砂田地区の集落が見えます

10 眺望台まで、標高差20数メートルほど登ります

11 展望台から南西を望む。晴天ならば、稲含山がよく見えるはずです。

12 展望台から南を望む

13 富岡地区側への下り道

【ふるさと学習プログラムとの関連】

3年(社会、わたしたちの富岡)

 

 

にっこり シリーズ黒岩探訪37 砂田西の石造物群 

シリーズ黒岩探訪37 砂田西の石造物群-奪衣婆(だつえば) 閻魔王(えんまおう) 司命(しみょう) 司録(しろく)- → 37sunadanisisekizoubutugunn.pdf

砂田西の石造物群

奪衣婆(だつえば)像 

司命(しみょう)像 閻魔王(えんまおう)像  司録(しろく)像

 閻魔王(えんまおう)像

【ふるさと学習プログラムとの関連】

3年(社会、古くからつたわるもの)

6年(総合的な学習の時間)

NEW シリーズ黒岩探訪36 オオツノシカの化石骨② 附-出土記念碑、鑑定書、出土記録-

シリーズ黒岩探訪36 オオツノシカの化石骨② 附-出土記念碑、鑑定書、出土記録- → 36ootunosikanokasekikotu2.pdf

 夏休み中の職員研修で特別に本物を見させていただきました。これが二万年以上も前に生きていた生物の化石で、発見されてから二百年以上たっているとは思えないくらいとても保存状態のよいものでした。(下の写真は『富岡市の文化財』より)

 オオツノシカの化石骨は、群馬県の指定文化財になっていますが、それにはその出土記念碑、鑑定書及び出土記録が一緒についています。

 このオオツノシカの化石骨そのものについては、すでに黒岩探訪6(昨年6月22日号)で述べています。「オオツノシカの化石骨」→ 6ootunosika.pdf 

今回は、他の3点について記述します。

【オオツノシカ化石骨出土記念碑】

上黒岩打越の発見現場の近くに建てられています。寛政10年(1798)の建立です。側面には寛政9年6月24日に発見されたことが刻まれています。

 上黒岩の打越にあります。案内の看板もあります。

【オオツノシカ化石骨鑑定書】(『富岡市の文化財』より)

幅50㎝、長さ7m以上の巻物になっています。発見から三年後の寛政12年に書かれました。幕府老中松平定信の侍医であった丹波元簡が鑑定にあたり、絵師の谷文晁の実弟の谷元旦が原寸大の写生図を作成しました。(中略)鹿の一種に似ていると指摘しています。

【オオツノシカ化石骨出土記録】(『富岡市の文化財』より)

幅18㎝、長さ2m強の巻物で、七日市藩士大里頼雄の著作を後に本多和太吉が書き写したというもので、原本・写しとも製作年代は分かりません。化石骨は6月24日の土砂崩れで発見され7月17日には藩主の前田利以に献上されたことや、出土地付近は過去にも度々土砂崩れが起きていたことが記されています。この他出土地の絵図、化石骨の略図なども書かれています。

【ふるさと学習プログラムとの関連】

3年(社会、古くからつたわるもの)

3年(総合的な学習の時間)

6年(総合的な学習の時間)  

 

 

シリーズ黒岩探訪35 古墳-黒岩地区の古墳と富岡5号古墳出土埴輪

シリーズ黒岩探訪35 古墳-黒岩地区の古墳と富岡5号古墳出土埴輪- →  35kohun.pdf

 平成29年群馬県教育委員会発行『群馬県古墳総覧』によると富岡市には、現存・消滅を合わせて全部で古墳が649基ある(あった)ことが報告されています。(18基の旧北甘楽郡福島町分を含む。)

 黒岩地区分はその内5基だけですので、市内の中では古墳数は少ない地域です。 

 その5基は昭和10年に分布調査し昭和13年にまとめられた『上毛古墳総覧』ですでに報告されています。

 これによると一つ目は機足塚(参照黒岩探訪8)のことです。

二つ目は上黒岩新田にあるとされていますが、現存しているかは不明です。

三つ目は上黒岩にあり、所有が黒岩神社となっています。備考欄に「石棺出デシトイフ」とあります。

四つ目、五つ目は下黒岩にあり、備考欄に書いてあることから「他二同様ノモノ」が4基あったとことがわかります。おそらくその位置は、小字の「田中前」またはこれに接する「谷津」と思われます。学校から見ると南東にあたります。山に向かう所に下の写真のように石室の石材と思われる石が露出している塚があります。形状からほぼ古墳に間違いありません。

 校区ではありませんが富岡五号古墳出土の埴輪を紹介します。

 この古墳は西小学校の校庭拡張整備のため昭和43年に発掘調査された後なくなりました。この古墳は六世紀中頃の直径30mほどの比較的大きな円墳とされています。

 ここから出土した埴輪はとてもすばらしいもので富岡市指定文化財になっています。市立美術館の2階に展示されています。

左から、女子、男子、馬飼〔農夫〕、靭(ゆき)、鞆(とも)、太刀(たち)

【ふるさと学習プログラムとの関連】

6年(社会、日本の歴史)

6年(総合的な学習の時間)  

 

 

シリーズ黒岩探訪34 黒川小塚遺跡-弥生時代のお米- 

シリーズ黒岩探訪34 黒川小塚遺跡-弥生時代のお米- → 34kurokawakodukaiseki.pdf

 黒川小塚遺跡は、国道254バイパスのもみじ平公園入口の信号付近を範囲とする弥生時代中期後半~古墳時代前期の遺跡です。この遺跡は昭和59年のバイパス建設、その後の周辺店舗建設時に発掘調査をされています。

 黒川小塚遺跡は、弥生時代中期後半に防御的な溝を集落の周囲にめぐらせた環濠集落としても知られています。出土土器の様式から弥生時代中期後半とされています。この遺跡から出土した炭化米(稲籾)を科学的に調査したところ、およそ紀元前二世紀と分かりました。

 弥生時代に、富岡市において稲作が行われていたことを示す貴重な遺跡です。

【黒川小塚遺跡弥生時代の環濠集落想像図 富岡市立美術博物館】

【黒川小塚遺跡出土米】

(弘前大学人文学部の鑑定によると紀元前175年±20年と推定される。)

【ふるさと学習プログラムとの関連】

5年(総合的な学習の時間:お米について調べよう)

6年(社会、日本の歴史)  

 

 

シリーズ黒岩探訪33 昭和10年の大水災

シリーズ黒岩探訪33 昭和10年の大水災 → 33syouwa10nenndaisuisai.pdf

 7月初めの西ノ本豪雨災害は、過去の水害に比較して大きなものとなってしまいました。また、今回の台風12号は前例にないコースで日本列島を横断していきました。被災された方々に対して心からお見舞い申し上げます。

 天災は、いつやってくるか分かりません。黒岩地区でも昭和10年9月25日に台風による水害が発生し、下黒岩で6名、上黒岩で2名、合計8名が圧死または溺死した災害があったそうです。この時の富岡市の25日1日の降水量は300ミリ、降り始めからの総降水量は460ミリだったそうです。現在の前橋市の年間降水量1248ミリに比較すると1年間の3分の1にあたります。

 学校に、「下黒岩西区土砂災害緊急避難地図」があります。黒岩小学校を含む範囲の図ですので、過去の災害を知り現在の防災対策に生かすために活用していきたいと思います。

図を拡大する場合 → hinanntizu.jpg 

【ふるさと学習プログラムとの関連】

学校行事(避難訓練) 

 

NEW シリーズ黒岩探訪32 民話・語り部かぶらの里

シリーズ黒岩探訪32 民話・語り部かぶらの里 → 32minwa-kataribe.pdf 

 黒岩小学校では、1年に1度、語り部「かぶらの里」の皆さんに民話を語っていただいています。

 6月20日には、「しょうぶの話」「羊太夫」「かいげんときつね」「大日様ときつね」の4話を語っていただきました。

 民話は 「むかし、むかし」や「むか~ぁし」と語り出し、最後は「~とさ」と結ばれます。 登場人物は、村人、小僧さん、てんぐ、きつね、たぬきなどです。特にきつねが多いような気がします。

 本校には昭和時代の後半に制作された紙芝居が八つ残っていますが、そのうち三つが民話をもとにしています。その三つは次のものです。

【谷をかくした天狗さま」(昭和56年度3年生制作)

【大日様のキツネ」(昭和61年度6年生制作)

【新田の山神様」(昭和62年度6年生制作)

【ふるさと学習プログラムとの関連】

3年(総合的な学習の時間)

6年(総合的な学習の時間)  

夜 シリーズ黒岩探訪31 ホタル観賞の夕べ

シリーズ黒岩探訪31 ホタル観賞の夕べ → 31hotarukannsyou.pdf

 黒岩地区地域づくり協議会主催(担当環境美化部)で6月16日に第三回「ホタル観賞の夕べ」が開かれました。 場所は、下黒岩字大平の谷津です。

午後6時半くらいになると薄暗くなってきます。

午後7時を過ぎると暗くなってきます。ホタルが飛び始めるのは午後8時近くになってからでした。

 ここ大平の谷津は、黒岩探訪9黒岩探訪10で谷津を取り上げた時24番を振った堤が奥にあります。この堤の周辺が一番鑑賞に向いている所のようです。

 この堤から下流方向に約五百メートルほど水田が続きます。昨年度各谷津を見て回ったときに現在でも水田の活用率が高い谷津として印象に残った所です。

 用水路が現在でもコンクリート化されていないで自然のままの流れになっています。水田への水口も土管を通すだけのシンプルなもので昔からの方法を受けついでいる様子が分かります。

【ふるさと学習プログラムとの関連】

6年(総合的な学習の時間)

 

 

シリーズ黒岩探訪30 蚕神「絹笠大神」

シリーズ黒岩探訪30 蚕神「絹笠大神」 → 30kinugasaookami.pdf

 今年も県世界遺産課事業の絹文化継承プロジェクトに参加しました。4年生が蚕を六百頭ほど飼い始めました。月末には収繭できる予定です。

 そこで今回は養蚕にちなんで、黒岩に残る蚕神(かいこがみ・さんしん)の石造(像)物「絹笠大神」(きぬがさおおかみ)を紹介します。

  この石造(像)物は、下黒岩の黒澤家にあり屋敷神様と一緒に祀られています。

  石造(像)物「絹笠大神」は、右から2番目。右端は、馬頭観音像。

彫りを強調するため、画像処理しました。

 これも、黒岩地区で養蚕が盛んだったことが分かる貴重な史料と思います。

  関連記事⇒ 黒岩探訪26「さかんだった黒岩村の養蚕業」

 この記事の中に、中央地区の黒澤家がでてきます。関連がうかがわれます。

 【ふるさと学習プログラムとの関連】
4年(総合的な学習の時間)