2017年8月の記事一覧
シリーズ黒岩探訪12「真っ白な南極めざす本多艦長」
シリーズ黒岩探訪12「真っ白な南極めざす本多艦長」→ 12honndakantyou.pdf
校長室に「『ふじ』南極航海記」という本があります。
発行:昭和41年9月30日
発行所:朝日新聞社
著者:本多敏治
本多氏は、黒岩カルタに標題のようにうたわれている、黒岩地区の偉人です。昭和60年度には当時の6年生が11枚からなる紙芝居にまとめています。
略歴
大正5(1916)年、上黒岩生まれ
旧制富岡中学校(今の富岡高校)卒業
昭和40(1965)年、第7次南極観測船艦長(初代「ふじ」艦長)
昭和42(1967)年、第9次南極観測船艦長
その後、海上幕僚監部南極観測支援室長
著作「『ふじ』南極航海記」より
蜜氷群を進む「ふじ」
定着氷に接岸した「ふじ」の荷下ろしを見学するペンギン
南極(オングル島)に立つ著者
南極の昭和基地
同行した特派員が著者の人生観を感じた講義の言葉
「決して急いではならない」
「自然に逆らうな」
「自然を尊敬せよ」
「ただし自然を恐れてはならない」
同特派員が感銘する著者の力
「勝負所の蜜氷群突破の際、二晩一睡もせず頑張り通した芯の強さ」
「東西冷戦下、ソ連の基地訪問をさらりとこなす実行力」
続きは校長室に伝わる本多氏の寄贈品についてです。
続き
本多敏治氏からの寄贈品
第7次隊の後、寄贈された南極の石と写真
箱書きには「南極の不二石 含石榴石変成岩」と書かれています。
これについて、国立極地研究所 南極・北極科学館(東京都立川市)に問い合わせてみたところ次のような説明を受けました。
南極の昭和基地周辺から持ち帰った石は、だいたい片麻(へんま)岩である。白い所は、石英・長石・雲母で、中に透き通った赤紫色の結晶があるとそれを石榴(ざくろ)石が入った片麻岩と言っている。磁石がつくのは黒い岩片に鉄分が含まれれているためである。
肉眼では、石榴石は確認できませんが、30倍のルーペ式顕微鏡で覗くといくつかそれらしきものが確認できました。
(表)
第9次隊の後、寄贈プレート(裏)
石は、校長室に展示してあります。ご覧になりたい方は来校した折、校長室にお寄りください。
【ふるさと学習プログラムとの関連】
6年(総合的な学習の時間:黒岩カルタ)
6年(理科:土地のつくり)
3年(総合的な学習:黒岩はかせになろう)
シリーズ黒岩探訪11「黒岩小学校の沿革」
シリーズ黒岩探訪11「黒岩小学校の沿革」 → 11gakkouennkakusi.pdf
本校の沿革を調べる機会がありました。
次の表に年表形式でまとめてみましたので、興味のある方はご覧ください。
黒岩小学校の沿革 → gakkouennkakusi.pdf
途中、明治時代の黒川尋常小学校から昭和時代前半の黒川分校の流れが同一かどうか不明です。同じ場所に継続してあったかどうか、分かる方がいらっしゃいましたら教えていただけると幸いです。(黒川地区のことですが・・。)
昭和9年10月に落成式を行った当時の旧黒岩小学校の写真(現在の市民運動場)
kyuukuroiwasyougakkou.pdf
左:加藤 一作 黒岩村長 右:畑 茂十郎 校長
黒岩カルタでは、「めに浮かぶ思い出深い旧校舎」
とありますが、現在の児童は「目に浮かぶ」ことができない世代になっています。