黒岩探訪web版
シリーズ黒岩探訪11「黒岩小学校の沿革」
シリーズ黒岩探訪11「黒岩小学校の沿革」 → 11gakkouennkakusi.pdf
本校の沿革を調べる機会がありました。
次の表に年表形式でまとめてみましたので、興味のある方はご覧ください。
黒岩小学校の沿革 → gakkouennkakusi.pdf
途中、明治時代の黒川尋常小学校から昭和時代前半の黒川分校の流れが同一かどうか不明です。同じ場所に継続してあったかどうか、分かる方がいらっしゃいましたら教えていただけると幸いです。(黒川地区のことですが・・。)
昭和9年10月に落成式を行った当時の旧黒岩小学校の写真(現在の市民運動場)
kyuukuroiwasyougakkou.pdf
左:加藤 一作 黒岩村長 右:畑 茂十郎 校長
黒岩カルタでは、「めに浮かぶ思い出深い旧校舎」
とありますが、現在の児童は「目に浮かぶ」ことができない世代になっています。
シリーズ黒岩探訪10「黒岩つつみ 及び 谷津 2」
この記事は「黒岩探訪9」の続きです。
下の地図を縮小前のサイズで見る場合には次をクリックしてください。→kuroiwanotikei tutumi yatu.jpg
【1】 機足地区(西)6月24日撮影 堤の番号5
4年(社会、くらしと水)
3年(総合的な学習の時間 里山をしらべよう)
シリーズ黒岩探訪9「黒岩つつみ 及び 谷津」
黒岩カルタには、堤または谷津に関わるものが四つあります。次のものです。
「かくし谷津から街を見守る天狗様」
「ブルーギル、プランクトンも豊富な黒岩つつみ」
「やつ谷津の田畑うるおす黒岩つつみ」
黒岩地区の地形上の特徴は、丘陵地帯と中央に流れる星川です。この星川に流れ出る多くの支流沿いに、谷津ごとに細長い水田域を形成しています。この谷津の最上流部に堤を造り農業用水と利用していることが大きな特徴です。
黒岩地区には、とてもたくさんの谷津と堤があります。次に谷津を利用した水田と堤を示した地図を載せます。(データが少し古く現在では水田ではないところもあり、またすでに堤として利用していないものもあります。)
この地図を縮小前のサイズで見る場合には次をクリックしてください。→kuroiwanotikei tutumi yatu.jpg
かくし谷津の伝説では、天狗が谷津を一つ隠して九十九谷になったというくだりがでてきます。
また、わが里は九十九谷とありますが、この場合は数が多いことを九十九と表しているものと考えられます。実際地図で細かい谷筋まで数えても実際は50くらいです。
黒岩カルタの解説版では、ため池(堤)は34と記述されていました。地図中で確認できた34個について赤い〇を付けてありますが、すべてを確認したわけではありませんので、不正確な部分もあると思います。ご了承ください。
後のシリーズで、今現在の堤や水田の様子を掲載する予定です。
4年(社会、くらしと水)
3年(総合的な学習の時間 里山をしらべよう)
シリーズ黒岩探訪8「機足の由来を語る織姫塚」
シリーズ黒岩探訪8「機足の由来を語る織姫塚」 → 8hataasituka.pdf
黒岩カルタ「は」の原画
現在の機足坂(北から撮影)。このあたりの東側(左側)に機足塚はあります。
機足坂頂上にある、藤塚稲荷神社。(東から撮影)
藤塚稲荷神社が建つ藤塚。
機足坂頂上からの景色。(北から南方を望む。)
【ふるさと学習プログラムとの関連】
6年(総合的な学習の時間)
全校(七夕集会)
黒岩探訪閲覧の方へお願い
つきましては、その記事を既読後、このページを訪れていただいた方にお願いです。
記事が伝わったことの確認のため、よろしければこの記事の最後にある[投票する]のボタンを押していただけるとありがたいと存じます。よろしくお願いいたします。
シリーズ黒岩探訪7「養蚕の面影残す北村家」」
切妻造三階建て養蚕農家の北村家 昭和6年建築
【ふるさと学習プログラムとの関連】
4年(総合的な学習の時間)
3年(社会、学校のまわり)
シリーズ黒岩探訪6「オオツノシカの化石骨」
シリーズ黒岩探訪 6「オオツノシカの化石骨」→ 6ootunosika.pdf
昭和57年度制作 版画26枚組の紙芝居の1枚目
次のような説明がついています。大作です。
「この作品は、ぼくたち6年生26人が約4か月かけての作品です。黒岩に出たオオツノシカを物語にしたものです。それぞれが分担しいろいろな場面を彫りました。いっしょうけんめい彫りました。読んでください。」
【ふるさと学習プログラムとの関連】
6年(総合的な学習の時間)
3年(社会、学校のまわり)
シリーズ黒岩探訪2「高林城」追加記事
「3年生 城の造りを体験する」の巻
6月16日、3年生の里山探検で高林城に行ってきました。
前回1度行った後、城に興味を持った児童がいるとのことで、城の造りを体感できるようにコースを設定しました。
目指すはここの頂上の本曲輪
ここにたどり着く前には、堀切があります
堀切のVの字形が分かるように並んでもらいました
堀切を横断するのは大変です
ここを乗り越えると平らな腰曲輪です
さらにここから本曲輪を目指し崖を登ります
結構、急なので大変です
本曲輪に到着し、崖を登る大変さを実感しました。
本曲輪の周囲360度すべてが崖だと大変なので、普通「虎口」と言われる登り口があることも伝えました。
3年生には難しい話ですが実感した後だけに、興味をもってもらったようでした。
また、高林城は地域の方が、整備してくれているので児童でも安全に行ってこられます。
整備途中とのことですが、見晴らしがよい環境にしていただいています。ありがとうございます。
シリーズ黒岩探訪5「西毛自動車教習所」
地域の交通安全に貢献されている校区内に所在する自動車教習所です。本校の交通安全教室は、ここで行われます。とてもたくさんの方々に協力していただいています。
西毛自動車教習所交通安全教室
交通少年団認証式
自転車事故再現(1)
自転車事故再現(2)
低学年横断歩道の渡り方
自転車の正しい乗り方
交差点を使った横断(歩行・自転車)
お世話になった交通安全協会・交通指導員の皆様
お世話になった西毛自動車教習所の所員の皆様
【ふるさと学習プログラムとの関連】
全学年(学校行事)
3年(社会、学校のまわり)
シリーズ黒岩探訪4「正嘉銘板碑」
1258年建立、群馬県で8番目に古い板碑です。
6年生の現地学習に同行して説明しました。
【ふるさと学習プログラムとの関連】
6年(総合的な学習の時間)
6年(社会、歴史)
シリーズ黒岩探訪3「あまだれ石 火山豆石」
3kazannmameisi.pdf
6月5日(月)、職員の現地研修を行いました。
火山豆石(地層下側を上から撮影)
歩道橋下の地層をきれいにしました。サイクリングロードの橋から下を見ると火山豆石の地層を確かめられます。昼間黒岩公民館にお寄りの折等ご覧ください。
地層観察(1)
地層観察(2)
観察地点(1)歩道橋下(2)サイクリングロード脇
【ふるさと学習プログラムとの関連】
6年(理科、地層)
6年(総合的な学習の時間)
3年(社会、学校のまわり)
シリーズ黒岩探訪2「高林城」
西毛地域にはたくさんの中世の山城がありますが、おそらく、現存する中では学校から一番近くにある山城と思われます。
今年度、4月に職員研修、3年生の社会科たんけん、5月に6年生の総合的な学習の時間などで訪れています。
頂上が本曲輪、手前は腰曲輪(北北東から撮影)
本曲輪東側の腰曲輪(北から撮影)
本曲輪南側の腰曲輪の南にある堀切(東から撮影)
きれいな逆台形の形が残っています。
本曲輪北側の腰曲輪の北にある堀切(西から撮影)
きれいな逆台形の形が残っていますが写真では分かりづらくなっています。
本曲輪から妙義山を望む(東から撮影)
手前は宝暦13年(1763)記銘の石祠
江戸時代のものなので、築城とは無関係
本曲輪上で確認した「かわらけ」
直径8.9cm 器高1.9cm
ロクロ成形 底部左回転糸切り
口縁部約半周にタール状の黒色物付着→灯明皿として使用した特徴を残す。
総合的判断から16世紀の遺物と思われます。
【ふるさと学習プログラムとの関連】
6年(社会、歴史)
6年(総合的な学習の時間)
3年(社会、学校のまわり)
シリーズ黒岩探訪1「北甘楽郡史 本多亀三」
1kitakannragunnsi.pdf
この本は、甘楽富岡地域にとって貴重な書物です。
著者は黒岩出身の、本多亀三氏です。
校長室に残る『群馬県北甘楽郡史』昭和3年11月1日発行初版本
黒岩村の記述ページ
著者 本多 亀三 氏(亀は旧字体)
【ふるさと学習プログラムとの関連】
6年(総合的な学習の時間)
4年(社会、地域の発展につくした人々)
黒岩探訪web版掲載開始にあたって
学校教育に関わる地域の自然や歴史的事象に関して、保護者や地域の方々が黒岩地区のよさを再確認していただける記事を提供したいと考え「黒岩小だより」に「黒岩探訪」のコーナーを設けました。
このウェブページ版は、それに関係する写真等を載せています。黒岩小だより記載の「黒岩探訪」の記事を確認したり、読んだりしたい場合 → の先の「pdfファイル」をクリックしてください。
ウェブページ版掲載前の5月末日現在、数名の方からご感想を寄せていただきました。ありがとうございました。
「黒岩探訪」の文責は永井にあります。事実正誤のご指摘等を含めご感想等お寄せいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。