黒岩探訪web版
シリーズ黒岩探訪12「真っ白な南極めざす本多艦長」
シリーズ黒岩探訪12「真っ白な南極めざす本多艦長」→ 12honndakantyou.pdf
校長室に「『ふじ』南極航海記」という本があります。
発行:昭和41年9月30日
発行所:朝日新聞社
著者:本多敏治
本多氏は、黒岩カルタに標題のようにうたわれている、黒岩地区の偉人です。昭和60年度には当時の6年生が11枚からなる紙芝居にまとめています。
略歴
大正5(1916)年、上黒岩生まれ
旧制富岡中学校(今の富岡高校)卒業
昭和40(1965)年、第7次南極観測船艦長(初代「ふじ」艦長)
昭和42(1967)年、第9次南極観測船艦長
その後、海上幕僚監部南極観測支援室長
著作「『ふじ』南極航海記」より
蜜氷群を進む「ふじ」
定着氷に接岸した「ふじ」の荷下ろしを見学するペンギン
南極(オングル島)に立つ著者
南極の昭和基地
同行した特派員が著者の人生観を感じた講義の言葉
「決して急いではならない」
「自然に逆らうな」
「自然を尊敬せよ」
「ただし自然を恐れてはならない」
同特派員が感銘する著者の力
「勝負所の蜜氷群突破の際、二晩一睡もせず頑張り通した芯の強さ」
「東西冷戦下、ソ連の基地訪問をさらりとこなす実行力」
続きは校長室に伝わる本多氏の寄贈品についてです。
続き
本多敏治氏からの寄贈品
第7次隊の後、寄贈された南極の石と写真
箱書きには「南極の不二石 含石榴石変成岩」と書かれています。
これについて、国立極地研究所 南極・北極科学館(東京都立川市)に問い合わせてみたところ次のような説明を受けました。
南極の昭和基地周辺から持ち帰った石は、だいたい片麻(へんま)岩である。白い所は、石英・長石・雲母で、中に透き通った赤紫色の結晶があるとそれを石榴(ざくろ)石が入った片麻岩と言っている。磁石がつくのは黒い岩片に鉄分が含まれれているためである。
肉眼では、石榴石は確認できませんが、30倍のルーペ式顕微鏡で覗くといくつかそれらしきものが確認できました。
(表)
第9次隊の後、寄贈プレート(裏)
石は、校長室に展示してあります。ご覧になりたい方は来校した折、校長室にお寄りください。
【ふるさと学習プログラムとの関連】
6年(総合的な学習の時間:黒岩カルタ)
6年(理科:土地のつくり)
3年(総合的な学習:黒岩はかせになろう)