シリーズ黒岩探訪

2017年11月の記事一覧

笑う シリーズ黒岩探訪18 佐藤茂助翁と二宮金次郎像

シリーズ黒岩探訪18 佐藤茂助翁と二宮金次郎像 → 18mosukeoutokinnzirouzou.pdf 

 校庭に建つ二宮金次郎像のことが少しわかりました。

4月9日 シダレザクラの下の二宮金次郎像

 

 

 

台座の裏に下の写真のように刻まれています。

 分かりづらいですが、「皇紀二千六百年記念 寄贈 佐藤茂助」と書かれています。年は西暦に直すと1940年、昭和15年です。

 黒岩小学校が今の公民館とそのグランドにあった時に、佐藤茂助様という方が寄贈してくれたことが分かります。

 では、その方はどんな方だったのでしょうか?この像の由来と佐藤茂助氏について上黒岩出身の方が調査に訪れた時、一緒に調べてみました。

 黒岩小学校の西隣の遍照寺墓地内に、佐藤氏の胸像が建っていました。

 台座には次の碑文が刻まれています。

佐藤茂助翁碑文.pdf

佐藤茂助翁は、明治11年4月群馬県北甘楽郡黒岩村に生まれ、同32年志を立て石材工業界に入りその業の指導開発に一身をささげ、あるいは機械的操作の工夫にあるいは優良職工の養成に翁独特の創造力と義侠心とを発揮せるのみならず、更に建築用材をして現今帝都に重きをなせるものにして翁の山谷を跋渉(ばっしょう)して苦心踏査の結果発見せられたるもの枚挙にいとまからず。東宮御所、横浜税関、帝室博物館、大蔵省新庁舎等多数の模範的石造建築物にして翁の関係して心血を注げるもの少なからず。ここに翁の還暦を迎ふるにあたり親友知己並びにその薫陶を受けたる者、相図りて寿像を建設してもって謝恩の意を表するものなり。

 昭和13年4月建之 県会議員 田村靜明 書之

 

 佐藤氏は、この文から、都内の大きな建造物にも関わるほど石材業で活躍された方ということがわかります。学校に来訪された方によると、佐藤氏は南牧村の石材産地である南牧村磐戸の椚地区の椚石に関わっていた方ということです。

 また、大日公園入口には次の門柱が建っています。

写真左の「大日公園」の裏には、「佐藤茂助翁壽像建設紀念」(紀は糸へん)

写真右の「黒岩山」の裏には、「昭和十三年四月吉日」と記されています。

 この門柱も階段の石も、二宮金次郎像及び台座の石もみな椚石です。

 明治時代に建てられた建造物の中には、この椚石を使用している建物があります。どのくらい佐藤茂助氏が関わっていたかは不明です。

 学校では、学校の二宮金次郎像は佐藤茂助氏が昭和15年に寄贈してくれたものであり、その方の像が学校横に建っていることを伝えていきたいと思います。

【ふるさと学習プログラムとの関連】

3年(社会、学校のまわり)

1年(生活科、がっこうたんけん)